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京都・観進橋児童公園の50年 「京都朝鮮学校裁判」

そもそも、この事件は何故起こったのか?被告達は、何も無意味に怒鳴りこみにいったのではありません。そのあたりを無視する、あるいは簡潔にしか報道しないマスコミが多…

第1回 京都・観進橋児童公園の50年  ~朝鮮学校による「実質的」支配~

「京都朝鮮学校にわざわざ出向いた理由」を知らない、あるいは理解しないままテレビやニュースを見てしまうと、「社会的弱者であるかわいそうな在日コリアンの皆様、しかも無垢な子供達が多くいる朝鮮学校に向かって、一部のチンピラ日本人が一方的に押し掛け拡声器でトンデモナイ罵声を浴びせた」ようにしか受け取れません。

その、【一部のチンピラ連中】が暴挙に至った発端となった、公の施設があります。
その名は、『観進橋児童公園』
一体どういった存在なのか見ていきましょう。

 

京都府京都市南区にある観進橋児童公園は、その名が示す通り児童公園であり、児童に限らず大人でも自由に立ち入り、遊ぶことができる公の施設です。

ところが…!

その誰もが遊べるはずの児童公園が、あるコトを切っ掛けに、遊ぶことが難しくなってしまったのです。
法律や条例で公園の利用が制限されたわけではありません。

何故なら。
公園の敷地内に、朝礼台・サッカーゴール・放送用スピーカーという、「公園に設置されているとは到底言い難い道具」が設置されていたのです。
これは一体どういうことなのでしょうか。

観進橋児童公園のすぐ近くに、京都朝鮮学校がありました(2012年3月末を以て休校)。
もともと校舎は違う場所にあったのですが、1960年に観進橋児童公園の近くに移転しています。
その際、朝鮮学校は自前の運動場確保ができなかったため、近くにあった公園の一部を占拠し、自校の運動場としたのです。

wikipediaによると、一応、近隣住民とは【円満にすみ分けていた】とのことです。

その後は公園内を金網で区切り、一方を児童公園として、一方を初級学校の運動場として使うという一種の「棲み分け」状態が続いた。運動場を使用しない時間帯は公園として一般に開放する、運動場でバザー等の行事を開く際には近隣住民に挨拶して無料券を配るなど[2]、初級学校側が近隣住民の懐柔に努めたこともあって、公園使用に関するトラブルは長い間起こっていなかった。
(wikipediaより引用)

ですが…。
2009年におきたとある出来事がきっかけで、近隣住民からも苦情が出るようになったのです。